2016年11月22日
戦争・平和・人権を題材にした小中学生の作文
タイトル通りの作文を拝見させて頂いてまず感じた事は、押しなべて原爆を落とされた戦争が!という文章が多いという事。



原爆を落とされた側を卑下し、落とした側については記述されていない。
広島平和記念公園の碑『安らかに眠って下さい過ちは繰り返しませぬから』の目線である。主語の無いこの1文は実に誤解を招く!
また、東京大空襲(東京大虐殺)や各都市を襲った無差別殺戮についても書かれていない。
調べなかったのか?教えられなかったのか?
教える側は、あくまで極悪非道の軍事国家が植民地獲得のために戦争を起こし、正義に跪いたという歴史にしたいのであろうか。

文章の締めくくりとして、現在における日本の平和は尊い!となっている。
表現は異なっていてもおおよその構成が似ているのである。
そのようにすべしと指導要綱でもあるのか。甚だ疑問を呈したい。
我が国において、戦争と平和と人権について自由に記述させるのであれば
思想信条による恣意性を排除した客観的な事実を列挙し
異なる見解でその事実が2分されているような事例は、そのまま2分された見解を紹介し
文章を作る側(小中学生)に選択させて文章作成させるのであれば、
このような統一感のありあまる構成にはならなかったであろう。
それとも私が拝見した文集は、そのような独自性のある文章は、校閲され排除されたのであろうか?

驚くべきことに、日本は憲法9条があるのが故に、戦後から現在に至るまで平和であったのだから・・・
という記述が小学生(高学年)の文章に見られたこと。
大人の思想・信条を加味してはいけない。国の歴史とは、時系列におかれた事実を教えていくことが教育であるからである。
日本国憲法9条があるが故に、敵国が侵攻してこなかったのではない。
米国における核の傘による庇護と、自国における外交努力によるものではなかったのか。
戦中・戦後もそうだが、当事者達の努力(結果的に誤っていたとしても)に感謝と尊崇の念を持たず、正確な歴史情報を共有できないようでは、自ずと国と国民は消滅の憂き目にあうは、現代における紛争地域をみても明らかである。
教育は実に大切である。世界中の国における歴史を、出来るだけ正確に客観的な事実に基づいて学び、教えていかねばならない。
それこそが、世界平和への1歩ではないのか。

Posted by keigo wat at 14:54│Comments(0)
│戦争と平和