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2017年02月13日

市議会議員さん・・・

最近関心があって、市議会議員の方々が日々綴っている

ブログ・フェイスブック等を拝見させて頂いています。


議員の皆様それぞれ様々な

主張・ご意見・活動報告をされていらっしゃいます。

感じることは、新聞で言えば1面記事に相当するのが、地域行事のお知らせ…これ本当に多いのです。地域活性化の一助になればとの思いなのでしょうが、あまり多いと行事参加して楽しんでるだけか?あるいはこれだけ行事に参加しているという自慢か?とも感じてしまいます。街づくりに必要なのかの視点や、今後の展望などをお話しして頂ければ、議員さんの人となりも理解できるかもしれません。

さて次に多いのは、議員活動報告です。ご自身の政治活動を広く知って頂きたいのだろうと推測しますが、特に言えるのは、議会議事録の体裁をとっている文章は読み辛いし、理解しにくいという事です。議事録は役所のHPでも閲覧できますので、意図を外さない程度に、柔らか文章にしてみませんか

それと街頭演説のお写真…当然今の季節、寒風吹く街頭で一生懸命頑張っていらっしゃるのは伝わりますが、何をお話ししているのかはほとんど記載されていません。主張している事を全て書き込んで下さいとは申しません。これを訴えています!の一つ位は添えて欲しいと思います。(もし、法律上制約があるのでしたら仕方ありませんが、我々一般人はそんな事も知りません)

そして、更に特徴的で残念な方々がいらっしゃるのです。それは、所属?出身?政党の国会議員による報告的文書なのです。地方政治は政党政治では無い!とお叱りを受けそうでもありますが、さりとて、国政と外交の行方は市政にも重要な出来事であることも重々承知の上でございます。

国会議員の、ブログなりホームページなりツイッターなりは、一般人の私たちでも閲覧はできます。あえてご紹介頂かなくても結構ですし、あまつさえその時々の政権批判は、市議会議員という立場を、返って卑しめてしまう結果になりかねないと考えます。

ゆえに、そのご紹介ページをもっと市政や地域振興のご意思を示された方が、一般人の市議会議員の皆様への理解と信頼が浸透すると思います。

ご自身の支持政党あるいは支持する国会議員の賛同や称賛は、ご自身の個人匿名ページでも立ち上げて述べて欲しいと思います。“議員ブログ”等として表現している以上、公人ページだと私は思いますので、そこにおいては、どの会派の方々も、街づくりの方向性・街のインフラ整備の現状と将来像・福祉サービス等の実情と展望・そしてそれらに掛かるコストや実現性などを、夢を持たせて語って戴ける議員活動について、日々お知らせ頂ける事を望んでいます。

以上は特定の方・会派を指しているわけではありません。普通に暮らしている一人の一般人としての雑感です。



  


Posted by keigo wat at 16:53Comments(0)余談・・・雑感

2017年02月02日

戦争を知る事・・・近現代の戦争観


戦争反対!平和主義!・・・
どなたであろうとこの言葉に反対する方はいないでしょう。


ですが、近現代における国家の平和観は、単純な戦争反対!ではなかったりすると思います。

もちろん、その国の憲法に不戦の条項があるから、戦争は起きない!という奇妙な考えを私は持ちません。

今回は、軍事史の中でも二大巨頭ともいわれるお二人を簡単に引用、説明しながら

近現代の国家における戦争観をお話しします。あくまで自論ですので

無知でどうしようもないね!とか滅茶苦茶言っているね!とか勉強不足だね!

とかのコメントは要らないですよ(笑)(笑)(笑)

  

さて、ウイキペディア他の資料によると、カール・フォン・クラウゼヴィッツという方は「戦争論」というとても難解で哲学な文章を遺して行っていらした方です。この軍事史の巨人は、1831年、上司のグナイゼナウ将軍ともども現・ポーランド西部ヴロツワフであっけなくコレラにより亡くなってしまいます。もっと長生きしていれば(1780年生なので享年51)、確実に歴史が変わったのかもしれません。

「戦争論」という書物がある事は多分知っている人が多いと思いますが、ちゃんと読んだ人は多分少ないと思います。(私も難解なので、一通りしか読んでいません)

 ドイツの軍人が戦争の本を書いたと言えば、歴史を後ろ向きに見ている日本人はヒトラーやヒンデンブルク、二つの世界大戦やドイツ帝国を知っているので、どうも敬遠してしまうのかも知れません。ただ哲学を志した人は、ドイツの哲学者ヘーゲルの弁証法を通じてこの本を読んだことがあるかも知れませんね(とは言うものの、ヘーゲル哲学に影響されて書いたのではないだろう、と言う研究者もいます)


 この「戦争論」はクラウゼヴィッツさんの死後、マリー夫人により三部に分けられ発行されたもので、本人の遺志とは関係がない出版でした。これは結構大きいことで、何故ならクラウゼヴィッツさんはこの「下書き」を基にちゃんと推敲したものを世に問いたかったらしいのです。

 ですから、この論文は未完成と呼んで差し支えないわけで、どうも各所に重複した言い回しや、書きかけて突っ込んでいない部分が多く見られます。


 研究者によると、クラウゼヴィッツさんが「完成」させているのは第一編だけで、残りの七編は未完成。その「覚え書」によると、「戦争論」はナポレオン戦争が終わった直後の1816年から書き始め、クラウゼヴィッツが陸軍士官学校の校長を務めた1818年から1827年までに第一から第六編までを書き、第七、八編の下書きを書いたそうで、その後、「戦争と政治の関係の書き込みが不十分」だとして手直しする、としていたところ、1830年、グナイゼナウの幕僚として現場に復帰したため筆を止め、そのまま亡くなってしまったようです。


 この未完の大作はさっきも言いましたように哲学的色彩も垣間見え、また、ナポレオン戦争やフリードリヒ大王の七年戦争等の戦史も入り込んでいるため、取り方によっては非常に難解となり、いろんな解釈をされて来ました。

 

一・戦争は政治の延長にあって国の政治手段だから、戦争に勝つことだけじゃなく、戦後も考えて最初の目

的から外れてはいけないよ


二・戦争は「暴力を使おうと思う気持ち(憎悪や敵意)」「イチかバチかの勝負事(賭けや偶然の要素)」

「政治の一手段(あくまで政治に従属するもの)」の三つからなるよ。この三つが一体となって初めて戦争の

目的が達成されるんだ(戦争の三位一体)


三・戦争をする軍隊(指揮官)は戦闘に勝利するための作戦を考えるけれど、戦場には「摩擦」やら「戦場

の霧」と言われるモノがあって、作戦なんて指揮官の考えた通りに進まないんだ。これを人間が持つ強

い精神力と知性で乗り越えなくてはならない(「天才」の概念)

 

一は『シビリアンコントロール』


二は『「国民」「軍隊」「政府」の三つが戦争のトロイカ』


三は『戦争に勝つには強く賢い指揮官』

他にも、

「主力同士の決戦の場に多くの兵力を集めた方が勝者となり戦争に勝利するが、そのためには攻撃の限界点を知らなければならない」

「敵地に入ればなおさら摩擦や戦場の霧が増えるから防御側はそれを最大利用すべきだし、攻撃側は決戦の場へ兵力を集中する場合に摩擦に注意しなくてはならない」


「戦争には『絶対戦争』(全面総力殲滅戦)と『現実の戦争』(領土紛争などの限定戦)がある。絶対戦争は戦争後に勝者も疲弊させやり過ぎてしまうため、政治によってブレーキを掛けなくてはならない」


 この「戦争論」、先に言ったように未完で哲学的要素もあるので、色々言われ、また、都合のよい解釈をされて誤解されたり、クラウゼヴィッツさんの評判が悪くなったりしています。


 さてもう一人、イギリスの有名な軍事評論家のバジル・ヘンリー・リデル=ハートさんは、クラウゼヴィッツさんの言う「絶対戦争」(相手軍隊の殲滅を目的として徹底的に勝敗を求める戦争)理論が20世紀の『総力戦』(国家総動員による世界規模の全面戦争)を呼び、世界を危機に陥れた、と非難しています。


 1895年にイギリス人牧師の息子としてパリに生まれ、成長すると英陸軍に入って第一次大戦で戦い、幾度か負傷、その総力戦と前線の無慈悲な兵士の消耗を見て「こんな惨い正面衝突をして国を弱らせなくとも目的達成のためにはいつでも『間接的なアプローチ』がある」という考えに至ります。
ハートさんは第一次大戦後、陸軍の教育担当将校として「歩兵操典」などを著しますが、やがて陸軍上層部などと衝突してクビになります。

民間に降りると軍事評論家として「歴史上の偉大な戦闘」や「第一次大戦」などの著作で有名となります。

 

ここで、ヒトラーのナチス勃興にぶつかりますが、リデル=ハートさんは自らの『間接アプローチ理論』から「直接対決~総力戦」を避け「経済封鎖」や「集団的自衛権の行使」による「封じ込めと抑止」を訴え、それは時のイギリス政府の対応に即していたので歓迎されますが、第二次大戦発生と共に評判は地に堕ちてしまいました。戦中もチャーチルを批判したりして睨まれます。「正面から総力戦を行えば、例え勝者となっても経済は崩壊し、植民地を失い、イギリスは衰退して世界の一線から退くだろう。戦争内閣(ウォー・キャビネット)は戦後の安泰や繁栄を考えていない。ドイツを滅亡させる絶対戦争はヨーロッパに力の真空地帯を産み出してそこへソ連が乗り出せば再び緊張と対決が起きるだろう」大戦終了後、冷戦構造となってイギリスは経済も疲弊して没落、見る影もなくなったことでリデル=ハートさんの「予言」が見事的中、彼の「間接アプローチ理論」は『戦略論・間接アプローチ』として結実するのです。


 こうして見ると、クラウゼヴィッツさんの「戦争論」も、それを批判的に見ていたリデル=ハートさんの「戦略論」も、時と場所で誤った見方をされ、実は紙一重で似ていたことが分かります。


 クラウゼヴィッツさんは「絶対戦争」=総力戦が必要だとか、戦争は敵を殲滅することだ、等とは言っていないのに、いつの間にか「絶対戦争」理論にされていました。そこには明確に「政治関与」が言われているのに、軍隊に都合のよい部分ばかりが強調されたように思われます。軍人さんは、総力戦で国の運命を左右するまるで古代中国やローマかカルタゴのような軍人の姿に憧れてしまい、政治を無視する道を進みます。
 リデル=ハートさんも「絶対戦争」は何も解決せず勝者なき世界を生むとして「間接アプローチ」を唱えました。しかし、これは「弱腰」とされてしまいます。


 冷戦と核の登場でリデル=ハート式が有効とされ、欧米戦略の基礎となって行くのです。どちらも、戦争を抑制する政治の力を第一番に考えている、と言う点を忘れてはいけないと思うのです。

そして平和を考えるなら戦争を知る、ということにも共通していることなんです。


「戦争は政治目的の達成のために起きることを考えるのなら、戦争の指導は、最初の動機(目的)を第一に最大に考えなくてはならない」(クラウゼヴィッツ・戦争論)


「平和愛好国家は危険だ。なぜなら一度駆り立てられたら極端に走りやすいからだ。戦争を好む国は、相手が征服するには厄介な力を持っていることを知るなら、直ぐにでも対決を止めるだろう」(リデル=ハート・戦略論)


「平和を欲するなら戦争を知りなさい」(リデル=ハート)

現代における現実的な平和観とは、このような考えであると私は思います。

  


Posted by keigo wat at 11:50Comments(0)戦争と平和