2018年05月31日
市議会議員さんのSNS発信で思う事
時折、関心があって市議会議員の方々が日々綴っているブログ・フェイスブック等を拝見させて頂いています。
議員の皆様それぞれ様々な主張・ご意見・活動報告をされていらっしゃいます。
感じることは、新聞で言えば1面記事に相当するのが、地域行事のお知らせ…これ本当に多いのです。地域活性化の一助になればとの思いなのでしょうが、あまり多いと行事参加して楽しんでるだけか?あるいはこれだけ行事に参加しているという自慢か?とも感じてしまいます。
街づくりや地域振興に必要なのかの視点や、今後の展望などをお話しして頂ければ、議員さんの人となりも理解できるかもしれません。
さて次に多いのは、議員活動報告です。ご自身の政治活動を広く知って頂きたいのだろうと推測しますが、特に言えるのは、議会議事録の体裁をとっている文章は読み辛いし、理解しにくいという事です。議事録は役所のHPでも閲覧できますので、意図を外さない程度に、柔らか文章にしてみませんか。
それと街頭演説のお写真…街頭で一生懸命頑張っていらっしゃるのは伝わりますが、何をお話ししているのかはほとんど記載されていません。主張している事を全て書き込んで下さいとは申しません。これを訴えています!の一つ位は添えて欲しいと思います。(もし、法律上制約があるのでしたら仕方ありませんが、我々一般人はそんな事も知りません)
そして、更に特徴的で残念な方々がいらっしゃるのです。それは、所属?出身?政党の国会議員の報告的文書なのです。地方政治は政党政治では無い!とお叱りを受けそうでもありますが、さりとて、国政と外交の行方は市政にも重要な出来事であることも重々承知の上でございます。
国会議員の、ブログなりホームページなりツイッターなりは、ブロックされない限りは一般人の私たちでも閲覧はできます。あえてご紹介頂かなくても結構ですし、あまつさえその時々の政権批判に至っては、市議会議員という立場を、卑しめてしまう結果になりかねないと思います。
ゆえに、そのご紹介ページをもっと市政や地域振興のご意思を示された方が、一般人の市議会議員の皆様への理解と信頼が浸透すると思います。
ご自身の支持政党あるいは支持する国会議員の賛同や称賛は、ご自身の個人匿名ページでも立ち上げて述べて欲しいと思います。“議員ブログ”等として表現している以上、公人ページだと私は思いますので、そこにおいては、どの会派の方々も、街づくりの方向性・街のインフラ整備の現状と将来像・福祉サービス等の実情と展望・そしてそれらに掛かるコストや実現性などを、夢を持たせて語って戴ける議員活動について、日々お知らせ頂ける事を望んでいます。
以上は特定の方・会派を指しているわけではありません。普通に暮らしている一般人の雑感です。
2017年08月02日
国会議員の資質ってなんだろう?
国会議員の資質ってなんでしょう?・・・
という素朴な疑問を持ちました。
私は映画作品と映画監督の関係性と同様に観る傾向があります。
それは、監督の思想信条と作品の評価は同一ではないこと。つまり左翼思想を喧伝していても、自国愛に満ちた作品は作品として評価します。その観点からすると、議員の不倫問題などは、すべからく当事者間の個人的問題であって、偏向メディアのスキャンダル騒ぎは言うまでもなく、私たち一般人がその良し悪しをどうこういうレベルではありません。
また、FB等のSNS全般でも散見される、誹謗中傷のごとき他人への下半身批判は、読むに堪えません。
書き込んでいる当事者は、余程の聖人君子かと思われる上から目線で書かれていますが、ご自身の聖人君子ぶりを、まずはご自身のタイムラインでご紹介してから批判すべきではないでしょうか。もちろんそんな一面ばかりで評価すべきものではありませんが、側面として人徳面での過大(又は過小)評価と認識することも大切なのだと思います。
閑話休題・・・
一般的に謂われていますのは、マックス・ウェーバーは著書の中で、政治家に必要な重要な資質は、「情熱」「責任感」「判断力」の3つであると記しています。その中で最大の敵は「虚栄心」としています。
以下私なりの解釈であります。
「情熱」には愛国心が含まれます。当たり前ですね。政策立案に際してどこの国の為かを考慮しない国会議員など存在意義はありません。某国支援団体の為になどと公言する人物は被選挙権があったとしてもその資質は無い!と断言できます。
「責任感」では、立案した政策を何故必要なのか、誰のために必要なのか、どういう手段を講じるのかを国民に説明できる職責という責任をおっている自覚を持っていることです。
「判断力」は、諸問題について何が問題で、どうしたら解決できるのか、どうしたらよりよい状態にできるのかということを考え、解決方法、政策を考える物事や人に対して、客観的に、かつ冷静に対処できる判断力が要求されると思います。
「虚栄心」は言うまでもありません。国会議員になったという“職業意識”はまずもって無くしてほしいところであります。給与・余多の特別待遇を受けた特別職!ではないのです。
以上の通りですが、私なりに加えたいのは「交渉力」も重要な要素の一つだと思います。
国会議員は、諸外国との折衝・交渉も重要な職務の一つです。日本国民の代表として、国益を守り、国際社会での日本の立場を考えながら交渉にあたらなければならないですし、国内では、党内や多種多様な陳情・支援者の要望などを聴く耳をもたなければならないのです。
以上の通り要求される資質は、全て前向きな観点ばかりですが、国会議員も企業経営者と同様に裏表あり、腹黒い面も要求されます。その上で・・・
心底に「情熱」と「責任感」をもって素早く的確な「判断力」を魅せ、「虚栄心」を捨てて「交渉力」を発揮する方が、国会議員としての資質があると思料いたします。
2017年03月29日
続・映画と拳銃について
で、再び映画と拳銃について・・・
今回はアメリカ映画に欠かせない拳銃と言えば⇒『コルト’45 M1911』の登場です。記号と数字だと、どんな銃なのか推定できませんね。
アニメだとルパン三世の銭形警部の愛銃といえば判り易いでしょうか(笑)

45と数字がありますが、これは銃身の口径を表しますのですが、アメリカではインチ表示なので0.45インチつまり約11.2㎜という事になります。その昔、38口径(約9mm)ではフィリピンのモロ族を倒せず、45口径のマンストッピングパワー(対人抑止力)が優れていましたので、所謂アメリカ人の中では絶対的な信頼をおける銃弾といえます。

これの実銃射撃経験もありますが、弾の大きさと銃自体の重量比の影響か、
(ウイーバースタイル)でも反動が肩にガツンとくる印象で、
標的に当てるのは難しいと思いました。欧米人の大きな手でも片手撃ちでの正確な射撃は相当な慣れが必要と思います。44マグナム6インチ銃身の方が当てやすいとすら感じました。また1911は米軍正式採用となった年号に拠りましたところから、別名コルトガバメントとも呼ばれます。現在ではコルト社の特許が切れていますので、各国各社から同様の銃が生産販売されています。
さてさて、本題の映画です!この拳銃が出てくる映画はたくさんありすぎるのですが、私が選んだのは、
次の3本です。スティーブ・マックイーンの『ゲッタウェイ』ウォーレン・オーツの『デリンジャー』そして印象的なのはトム・ハンクスの『プライベートライアン』です。



この3本の映画とも主役級の銃器は、トンプソンサブマシンガ
ンやポンプアクションのショットガンだったりするのですが、いいところで(大抵映画の最後辺り)出演します。
それぞれ、グリップ(銃把)の安全装置や、
スライド上の安全装置をクリックしたりと細かな描写が泣かせます。
主演の皆様、大抵片手で撃っていますが、
そこは銃に慣れていると解釈しましょう・・・(*’▽’
アクション映画で使われる拳銃は非常に印象的であります。どんな銃を使うかで主役の性格を想像出来たりもします。アクション映画を観る時の参考の一つとしてどうぞ~(^^♪
2017年03月14日
映画と拳銃について
拳銃も配役の一つではないだろうか?と思ったお話しです。
今回は“007”でケチをつけられてしまい
一時は経営危機にまで落ち込んだ『ベレッタ』について(^ω^)・・・
007の後、イタリアのピエトロ・ベレッタ社は1978年から始まった米軍正式採用トライアルに挑戦、なんと!M9として正式採用されてしまします(;゚Д゚)
このベレッタ92は、ベレッタM1951の後継機として1970年に開発がスタートしています。当時の西側は政治テロが頻発しており、市場のニーズが多弾装・ダブルアクションにあると睨んだベレッタ社は、1975年に、ダブルカラムマガジンに9mmパラベラム(いわゆる38口径相当ですが、リボルバー用弾とは形状は異なります)を15発装弾できる、ダブルアクションのベレッタ92を発表しました。ベレッタ92は、ワルサーP38の流れを汲むプロップアップ式ショートリコイル機構を持っています(発射時のガス圧で後退するスライドより前に銃身後退させそのショックを逃がす機構)ブローニング380あたりのストライカー式ブローバックとは少し異なります。更にこの銃は安全レバーが左右に付き、マガジンキャッチボタンも入れ替えられるので、右利き、左利きを問いませんし、2丁拳銃も可能です。
私も同銃で射撃した経験がありますが、初心者でも正しい姿勢で3マガジン(45発)も撃つと、7~8秒で15連射くらいできるようになります(的に当たるかどうかは別問題ですが( ´艸`))
同社の拳銃の特徴であるスライドの上面を大きく切り取ったデザインは、イタリアの銃器デザインのひとつの到達点とも呼ばれ、見た目の美しさは芸術品にたとえられるほどです。そして、米軍正式採用という追い風に乗った“ベレッタ92”はその特徴的で流麗なデザインと多弾数がウケて映画に採用されるのです。
そしてその映画として有名なのは、『男たちの挽歌』『リーサルウェポン』『ダイハード』ですね。これに異論はないと思います。
“男たちの挽歌”ではチョウ・ユウンファが使う特長的な2丁拳銃・・・
(ジョン・ウー監督はこれが好きらしい。あと韓国リメイク版は観るに堪えない)


“リーサルウェポン”では、メル・ギブソンが特殊部隊あがりの象徴として・・・


“ダイハード”ではブルース・ウイリスが多弾数を活かして撃ちまくる・・・

等々、映画の中でベレッタ92は重要かつ助演級の役割を果たしています。しかし、その後2000年代に入ると、新型拳銃が続出しベレッタ92はだんだん使われなくなってしまいます。例えばグロックシリーズとかはダイハードでも使われたりしています。
アクション映画で使われる拳銃は非常に印象的であります。どんな銃を使うかで主役の性格を想像出来たりもします。アクション映画を観る時の参考の一つとしてどうぞ~(^^♪
2017年02月13日
市議会議員さん・・・
最近関心があって、市議会議員の方々が日々綴っている
ブログ・フェイスブック等を拝見させて頂いています。
議員の皆様それぞれ様々な
主張・ご意見・活動報告をされていらっしゃいます。
感じることは、新聞で言えば1面記事に相当するのが、地域行事のお知らせ…これ本当に多いのです。地域活性化の一助になればとの思いなのでしょうが、あまり多いと行事参加して楽しんでるだけか?あるいはこれだけ行事に参加しているという自慢か?とも感じてしまいます。街づくりに必要なのかの視点や、今後の展望などをお話しして頂ければ、議員さんの人となりも理解できるかもしれません。
さて次に多いのは、議員活動報告です。ご自身の政治活動を広く知って頂きたいのだろうと推測しますが、特に言えるのは、議会議事録の体裁をとっている文章は読み辛いし、理解しにくいという事です。議事録は役所のHPでも閲覧できますので、意図を外さない程度に、柔らか文章にしてみませんか。

それと街頭演説のお写真…当然今の季節、寒風吹く街頭で一生懸命頑張っていらっしゃるのは伝わりますが、何をお話ししているのかはほとんど記載されていません。主張している事を全て書き込んで下さいとは申しません。これを訴えています!の一つ位は添えて欲しいと思います。(もし、法律上制約があるのでしたら仕方ありませんが、我々一般人はそんな事も知りません)
そして、更に特徴的で残念な方々がいらっしゃるのです。それは、所属?出身?政党の国会議員による報告的文書なのです。地方政治は政党政治では無い!とお叱りを受けそうでもありますが、さりとて、国政と外交の行方は市政にも重要な出来事であることも重々承知の上でございます。
国会議員の、ブログなりホームページなりツイッターなりは、一般人の私たちでも閲覧はできます。あえてご紹介頂かなくても結構ですし、あまつさえその時々の政権批判は、市議会議員という立場を、返って卑しめてしまう結果になりかねないと考えます。
ゆえに、そのご紹介ページをもっと市政や地域振興のご意思を示された方が、一般人の市議会議員の皆様への理解と信頼が浸透すると思います。
ご自身の支持政党あるいは支持する国会議員の賛同や称賛は、ご自身の個人匿名ページでも立ち上げて述べて欲しいと思います。“議員ブログ”等として表現している以上、公人ページだと私は思いますので、そこにおいては、どの会派の方々も、街づくりの方向性・街のインフラ整備の現状と将来像・福祉サービス等の実情と展望・そしてそれらに掛かるコストや実現性などを、夢を持たせて語って戴ける議員活動について、日々お知らせ頂ける事を望んでいます。
以上は特定の方・会派を指しているわけではありません。普通に暮らしている一人の一般人としての雑感です。

2017年02月02日
戦争を知る事・・・近現代の戦争観
ですが、近現代における国家の平和観は、単純な戦争反対!ではなかったりすると思います。
もちろん、その国の憲法に不戦の条項があるから、戦争は起きない!という奇妙な考えを私は持ちません。
今回は、軍事史の中でも二大巨頭ともいわれるお二人を簡単に引用、説明しながら
近現代の国家における戦争観をお話しします。あくまで自論ですので
無知でどうしようもないね!とか滅茶苦茶言っているね!とか勉強不足だね!
とかのコメントは要らないですよ(笑)(笑)(笑)
さて、ウイキペディア他の資料によると、カール・フォン・クラウゼヴィッツという方は「戦争論」というとても難解で哲学な文章を遺して行っていらした方です。この軍事史の巨人は、1831年、上司のグナイゼナウ将軍ともども現・ポーランド西部ヴロツワフであっけなくコレラにより亡くなってしまいます。もっと長生きしていれば(1780年生なので享年51)、確実に歴史が変わったのかもしれません。
「戦争論」という書物がある事は多分知っている人が多いと思いますが、ちゃんと読んだ人は多分少ないと思います。(私も難解なので、一通りしか読んでいません)
ドイツの軍人が戦争の本を書いたと言えば、歴史を後ろ向きに見ている日本人はヒトラーやヒンデンブルク、二つの世界大戦やドイツ帝国を知っているので、どうも敬遠してしまうのかも知れません。ただ哲学を志した人は、ドイツの哲学者ヘーゲルの弁証法を通じてこの本を読んだことがあるかも知れませんね(とは言うものの、ヘーゲル哲学に影響されて書いたのではないだろう、と言う研究者もいます)
この「戦争論」はクラウゼヴィッツさんの死後、マリー夫人により三部に分けられ発行されたもので、本人の遺志とは関係がない出版でした。これは結構大きいことで、何故ならクラウゼヴィッツさんはこの「下書き」を基にちゃんと推敲したものを世に問いたかったらしいのです。
ですから、この論文は未完成と呼んで差し支えないわけで、どうも各所に重複した言い回しや、書きかけて突っ込んでいない部分が多く見られます。
研究者によると、クラウゼヴィッツさんが「完成」させているのは第一編だけで、残りの七編は未完成。その「覚え書」によると、「戦争論」はナポレオン戦争が終わった直後の1816年から書き始め、クラウゼヴィッツが陸軍士官学校の校長を務めた1818年から1827年までに第一から第六編までを書き、第七、八編の下書きを書いたそうで、その後、「戦争と政治の関係の書き込みが不十分」だとして手直しする、としていたところ、1830年、グナイゼナウの幕僚として現場に復帰したため筆を止め、そのまま亡くなってしまったようです。
この未完の大作はさっきも言いましたように哲学的色彩も垣間見え、また、ナポレオン戦争やフリードリヒ大王の七年戦争等の戦史も入り込んでいるため、取り方によっては非常に難解となり、いろんな解釈をされて来ました。
一・戦争は政治の延長にあって国の政治手段だから、戦争に勝つことだけじゃなく、戦後も考えて最初の目
的から外れてはいけないよ
二・戦争は「暴力を使おうと思う気持ち(憎悪や敵意)」「イチかバチかの勝負事(賭けや偶然の要素)」
「政治の一手段(あくまで政治に従属するもの)」の三つからなるよ。この三つが一体となって初めて戦争の
目的が達成されるんだ(戦争の三位一体)
三・戦争をする軍隊(指揮官)は戦闘に勝利するための作戦を考えるけれど、戦場には「摩擦」やら「戦場
の霧」と言われるモノがあって、作戦なんて指揮官の考えた通りに進まないんだ。これを人間が持つ強
い精神力と知性で乗り越えなくてはならない(「天才」の概念)
一は『シビリアンコントロール』
二は『「国民」「軍隊」「政府」の三つが戦争のトロイカ』
三は『戦争に勝つには強く賢い指揮官』
他にも、
「主力同士の決戦の場に多くの兵力を集めた方が勝者となり戦争に勝利するが、そのためには攻撃の限界点を知らなければならない」
「敵地に入ればなおさら摩擦や戦場の霧が増えるから防御側はそれを最大利用すべきだし、攻撃側は決戦の場へ兵力を集中する場合に摩擦に注意しなくてはならない」
「戦争には『絶対戦争』(全面総力殲滅戦)と『現実の戦争』(領土紛争などの限定戦)がある。絶対戦争は戦争後に勝者も疲弊させやり過ぎてしまうため、政治によってブレーキを掛けなくてはならない」
この「戦争論」、先に言ったように未完で哲学的要素もあるので、色々言われ、また、都合のよい解釈をされて誤解されたり、クラウゼヴィッツさんの評判が悪くなったりしています。
さてもう一人、イギリスの有名な軍事評論家のバジル・ヘンリー・リデル=ハートさんは、クラウゼヴィッツさんの言う「絶対戦争」(相手軍隊の殲滅を目的として徹底的に勝敗を求める戦争)理論が20世紀の『総力戦』(国家総動員による世界規模の全面戦争)を呼び、世界を危機に陥れた、と非難しています。
1895年にイギリス人牧師の息子としてパリに生まれ、成長すると英陸軍に入って第一次大戦で戦い、幾度か負傷、その総力戦と前線の無慈悲な兵士の消耗を見て「こんな惨い正面衝突をして国を弱らせなくとも目的達成のためにはいつでも『間接的なアプローチ』がある」という考えに至ります。
ハートさんは第一次大戦後、陸軍の教育担当将校として「歩兵操典」などを著しますが、やがて陸軍上層部などと衝突してクビになります。
民間に降りると軍事評論家として「歴史上の偉大な戦闘」や「第一次大戦」などの著作で有名となります。
ここで、ヒトラーのナチス勃興にぶつかりますが、リデル=ハートさんは自らの『間接アプローチ理論』から「直接対決~総力戦」を避け「経済封鎖」や「集団的自衛権の行使」による「封じ込めと抑止」を訴え、それは時のイギリス政府の対応に即していたので歓迎されますが、第二次大戦発生と共に評判は地に堕ちてしまいました。戦中もチャーチルを批判したりして睨まれます。「正面から総力戦を行えば、例え勝者となっても経済は崩壊し、植民地を失い、イギリスは衰退して世界の一線から退くだろう。戦争内閣(ウォー・キャビネット)は戦後の安泰や繁栄を考えていない。ドイツを滅亡させる絶対戦争はヨーロッパに力の真空地帯を産み出してそこへソ連が乗り出せば再び緊張と対決が起きるだろう」大戦終了後、冷戦構造となってイギリスは経済も疲弊して没落、見る影もなくなったことでリデル=ハートさんの「予言」が見事的中、彼の「間接アプローチ理論」は『戦略論・間接アプローチ』として結実するのです。
こうして見ると、クラウゼヴィッツさんの「戦争論」も、それを批判的に見ていたリデル=ハートさんの「戦略論」も、時と場所で誤った見方をされ、実は紙一重で似ていたことが分かります。
クラウゼヴィッツさんは「絶対戦争」=総力戦が必要だとか、戦争は敵を殲滅することだ、等とは言っていないのに、いつの間にか「絶対戦争」理論にされていました。そこには明確に「政治関与」が言われているのに、軍隊に都合のよい部分ばかりが強調されたように思われます。軍人さんは、総力戦で国の運命を左右するまるで古代中国やローマかカルタゴのような軍人の姿に憧れてしまい、政治を無視する道を進みます。
リデル=ハートさんも「絶対戦争」は何も解決せず勝者なき世界を生むとして「間接アプローチ」を唱えました。しかし、これは「弱腰」とされてしまいます。
冷戦と核の登場でリデル=ハート式が有効とされ、欧米戦略の基礎となって行くのです。どちらも、戦争を抑制する政治の力を第一番に考えている、と言う点を忘れてはいけないと思うのです。
そして平和を考えるなら戦争を知る、ということにも共通していることなんです。
「戦争は政治目的の達成のために起きることを考えるのなら、戦争の指導は、最初の動機(目的)を第一に最大に考えなくてはならない」(クラウゼヴィッツ・戦争論)
「平和愛好国家は危険だ。なぜなら一度駆り立てられたら極端に走りやすいからだ。戦争を好む国は、相手が征服するには厄介な力を持っていることを知るなら、直ぐにでも対決を止めるだろう」(リデル=ハート・戦略論)
「平和を欲するなら戦争を知りなさい」(リデル=ハート)
現代における現実的な平和観とは、このような考えであると私は思います。
2017年01月23日
IQOSの寒さ対策







2017年01月11日
靖国神社と富士宮浅間大社
静岡県において幕末維新の有名人と言えば“清水の次郎長”くらいしか知らなかった私でした。富士市の次郎長開墾など善行やドラマの影響が大きかったのだと思います。
…大河ドラマの主人公なんかではなく“やくざ”が地元有名人か?…幕末偉人は静岡県にはおらん!
程度の感想だったのです。
しかしながら、幼い頃より慣れ親しんだ“富士山本宮浅間大社”にある碑が靖国神社と深い関わりがあるとは、露ほども知りませんでした。
もちろん、その碑の存在は知ってはいました。ですがさほど関心を持たなくなった訳があります。
それは私が5歳頃に祖父に連れられて湧玉池(富士山湧水で有名です)で遊んでいた時に、
大きな碑を見て祖父に尋ねたことがありました。
『あの大きなお墓みたいなのは、なに?』
祖父は
『お墓でなくてな…う~ん…なにかの記念じゃ!気にすることは無い』
と言われ、それきり祖父は答えず私も聞いてはいけない事と感じてしまい、
その後全く関心を寄せることは無くなりました。
注意深く関心をよせたのはある事がきっかけでしたが、ここでは長くなるので省きます。
その碑とは『駿州赤心隊之碑』であります。
勤王の志を持つ神官らによって、慶応4年2月25日結成され、隊長は富士宮浅間大社
宮司であった富士亦八郎重本です。
富士氏とはウィキペディアによると…
“富士家の初代と伝わる豊麿は、和邇部氏の長の17代目であり、
駿河国富士郡の郡司であった和邇部宿禰の子孫である和邇部宿禰宗人の子とされ、
富士郡大領となったことを機に浅間神社の神主となったと伝わる。
それにより富士姓を名乗ったことが富士氏の発祥とされ、富士郡を支配する地位にあった。
富士直時の書状では、少なくとも14世紀には既に、富士郡富士上方(現在の富士宮市一帯)を支配する
氏族として存在していたことが分かる。
他富士上方の社寺に対して諸役免除を行うなど、富士郡領主として存在し続けた。“とされています。
さて、
『行けば官軍 帰りは仏 どうせ 会津にゃ かなわない』
と佐幕的な地元に馬鹿にされた駿州赤心隊は、遠州報国隊らと共に西郷隆盛を参謀とする大総督軍に随行、江戸城各門の守備や彰義隊の討伐などに活躍しました。その後、東北地方の平定が落ち着いいた頃、赤心・報告隊の大部分は明治政府より感状をもらい、京都に凱旋する大総督宮を警護してそれぞれ駿河・遠江に帰還しました。
さて、彼らが戻った駿河ですが、そこは、移封された徳川家と旧幕臣たちが移住してきたばかりです。旧幕臣の中には倒幕に率先して参加した彼らを快く思わない者も多く、ついに明治元年12月22日草薙神社神主の暗殺未遂事件、その前日の御穂神社神主殺害事件が起こります。また明治3年7月には富士大宮司家 居館 芙蓉館も放火に遭います。
そこで、富士亦八郎重本たちは兵部大輔(ひょうぶだいふ)大村益次郎(往年の大河ドラマ“花神”のモデル)に相談します。大村益次郎は国の為に戦死した兵士を天皇自ら慰霊・顕彰することが重要だと考えていましたので、上野東叡山寛永寺領の九段を没収し『東京招魂社』を建設し、赤心・報国各隊の神職に移住奉仕する事を提案しました。結局のところ、招魂社に62名が社司任命されます。
そして、後の明治12年東京招魂社は“靖国神社”と改称し現在に至るのです。
富士宮浅間大社の歴史上長きにわたり、宮司として仕えてきた富士氏は、富士亦八郎重本をもって最後となりましたが、靖国神社の初代神官としてその名を残しております。
前述の祖父が良い答えをしなかったのは、源頼朝から縁が続き、後に徳川直轄地である佐幕的な土地柄故、当時の浅間神社神官に好感情をもっていなかったのでは、と今では推測するのみであります。(渡邉家は源氏系譜)
“駿州赤心隊の碑”には隊員の名前が全て彫られています。
富士宮浅間大社にお越しの折には、東側湧玉池のほとりにひっそりと佇んでおります石碑を観ながら、往時の方々の想いと靖国神社への成り立ちに思いを馳せてみて下さい

2016年12月09日
怒りのコントロールについて学んだこと




2016年11月30日
怒りについて学んでいます。


